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食道腺癌

目次

定義と疫学の概観

食道腺癌は、食道下部から食道胃接合部付近にかけての円柱上皮に由来する悪性腫瘍で、慢性的な胃食道逆流症(GERD)と関連するバレット食道を背景に発生することが多い疾患です。近年、西欧諸国では食道癌全体に占める腺癌の割合が増加しており、肥満や逆流の増加が一因と考えられています。一方、アジアでは依然として扁平上皮癌が主体で、腺癌は少数派ですが増加傾向が報告されています。

世界の地域差は顕著で、米国・北欧・オセアニアでは男性の腺癌罹患率が高く、男性優位が際立ちます。対照的に、日本や中国など東アジアでは食道腺癌の頻度は比較的低いものの、食道胃接合部腺癌やバレット関連病変の報告が徐々に増えています。疫学の差は、肥満率、食習慣、ピロリ菌感染率、逆流疾患の管理状況など、多因子の影響を受けます。

発症年齢は概して中高年で、特に50歳以降で増加し、60〜70歳代にピークが見られます。性差は大きく、男性が女性の4〜8倍とされる報告が多く、内臓脂肪型肥満や逆流の重症度の差、ホルモン環境の違いなどが仮説として挙げられています。ただし個々のリスクは生活習慣や既往症によって大きく変動します。

日本では、食道腺癌そのものは依然少数ですが、バレット食道の認知・診断の広がり、肥満・逆流症の増加に伴い、関連病変の臨床的対応が重要になっています。がん登録や診療ガイドラインの整備が進み、治療成績の向上とともに、疫学動向の把握が今後さらに精緻化すると期待されます。

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発生機序と病理学的背景

食道腺癌の典型的な発生経路は、胃酸や胆汁の慢性的な逆流により食道下部の扁平上皮が円柱上皮に置換される「バレット食道」を経て、低異型度・高異型度上皮内腫瘍を通過し浸潤癌へ至る多段階プロセスです。この段階的進展は「逆流→化生→異形成→癌化」という連続体として理解され、観察内視鏡と組織学的監視で捉えられます。

分子レベルでは、早期からのTP53変異やCDKN2Aの不活化、染色体不安定性の進行、全ゲノム倍加などが進展に関与します。進行例ではERBB2(HER2)増幅、EGFR、METシグナルの活性化、SMAD4の異常などが同定されることがあり、これらは治療標的や予後因子としての意味を持ちます。

病理学的には、腺管形成を主体とする腫瘍で、しばしばバレット上皮の遺残や腸上皮化生の所見を伴います。浸潤の深さ(T因子)やリンパ節転移(N因子)、遠隔転移(M因子)が病期を規定し、内視鏡的切除の適応や外科・集学的治療の選択に直結します。

食道胃接合部(EGJ)領域の腺癌は、胃癌との境界領域に位置づけられ、Siewert分類など病変の中心位置で臨床方針が影響を受けます。食道腺癌はEGJ腺癌と重なる部分があり、術式や周術期療法の選択では各ガイドラインの推奨を総合して決定されます。

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リスク因子(環境・生活習慣)

最も強固な環境因子は、慢性的かつ重症の胃食道逆流症と中心性(内臓)肥満です。腹腔内圧上昇と食道裂孔ヘルニアが逆流を助長し、バレット食道の成立と進展リスクを高めます。体重増加の抑制や逆流の適切な治療は、一次・二次予防の要です。

喫煙はリスク上昇と関連し、禁煙によりリスクは時間とともに低下します。飲酒は扁平上皮癌ほど強い関連はありませんが、過度の飲酒は逆流や粘膜障害を通じて悪影響を及ぼし得ます。果物・野菜摂取の不足、加工肉の多量摂取、低身体活動もリスクに寄与する可能性があります。

ヘリコバクター・ピロリ感染は胃酸分泌の低下を介して食道腺癌リスクを低下させる逆相関が報告されていますが、感染維持は胃癌など他疾患のリスクを高めるため予防戦略として推奨されるものではありません。薬物では、バレット食道患者におけるプロトンポンプ阻害薬(PPI)が進展抑制に関連するエビデンスがありますが、一般集団の一次予防薬としての使用は推奨されません。

家族歴やGERDの罹病期間・重症度、男性、白人(欧米)などの非修正因子も重なってリスクが上乗せされます。臨床では、複数のリスクを併せ持つ人に対して内視鏡スクリーニングやサーベイランスを検討するアプローチが用いられます。

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遺伝学と家族歴

食道腺癌は大部分が散発例で、明確な遺伝性腫瘍症候群に由来する割合は高くありません。とはいえ、バレット食道や食道腺癌の家族集積は報告されており、第一度近親者に疾患がある場合、個人のリスクはおおよそ2〜3倍に上昇するとする研究があります。

ゲノムワイド関連解析(GWAS)では、CRTC1、BARX1、FOXF1、GDF7、TBX5、HLA領域など、食道の発生・分化や逆流素因に関与する遺伝子近傍の多型がバレット食道/食道腺癌の感受性に関連すると示されています。これらは個別の寄与は小さいものの、多遺伝子リスクとして合算されうることが示唆されています。

全体の遺伝率(遺伝要因が罹患差を説明する割合)は中等度以下と推定され、環境因子の影響が相対的に大きいと考えられます。実臨床では、多遺伝子スコアはまだ日常診療の意思決定に用いられる段階にはなく、家族歴の聴取と臨床リスクの統合評価が実用的です。

一部のDNA修復関連遺伝子の生殖細胞系列変異が食道腺癌リスクに関与する可能性が探索されていますが、頻度は稀であり、現時点で全例スクリーニングが推奨される状況ではありません。臨床的には、若年発症や強い家族歴など例外的な背景で遺伝カウンセリングが検討されます。

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診断と治療の要点

症状は嚥下困難、体重減少、胸骨後部痛、慢性の胸やけ、吐血や黒色便などが挙げられます。診断の第一歩は上部消化管内視鏡で、狙撃生検により病理診断を確定します。バレット食道の監視には、規定の生検プロトコルとリスク層別化が用いられます。

早期粘膜内癌(T1a)では内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)や粘膜切除(EMR)が根治を目指せます。粘膜下層浸潤(T1b)や局所進行では、外科的食道切除、術前術後の化学放射線療法や化学療法(CROSSレジメン、FLOTなど)を組み合わせた集学的治療が標準です。

HER2陽性例ではトラスツズマブ併用、進行・再発では免疫チェックポイント阻害薬(ニボルマブの術後補助、ペンブロリズマブやニボルマブの化学療法併用)が状況に応じて適応となります。PD-L1発現やHER2、MSI/MMRなどのバイオマーカー評価が治療選択を後押しします。

支持療法と栄養管理、逆流・疼痛コントロール、狭窄に対するステント留置などの緩和的介入も重要です。治療選択は病期、全身状態、合併症、患者さんの価値観を踏まえ、多職種チームで検討されます。

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