顎関節症
目次
定義と分類
顎関節症(Temporomandibular Disorders; TMD)は、顎関節や咀嚼筋、関連する組織に起こる痛みや機能障害の総称です。代表的には、関節部の痛み、開口障害、顎運動時の雑音(クリック音・クレピタス)などがみられ、日常生活の質に影響します。
臨床的には、主に筋痛型(咀嚼筋の痛み)、円板障害型(関節円板の転位や復位の有無)、関節痛・関節炎・変形性関節症などの関節病変に大別されます。これらは単独でも併存しても生じ得ます。
診断の国際基準として、症状の標準化を図るDC/TMD(Diagnostic Criteria for TMD)が広く用いられています。症状評価(軸I)と心理社会的因子評価(軸II)を組み合わせる点が特徴です。
TMDは一つの疾患ではなく多因子性の症候群であり、構造的異常だけでは説明できない痛みの増幅や心理社会的要因が関与します。そのため治療は多面的アプローチが推奨されます。
参考文献
- NIDCR: Temporomandibular Joint Disorders (TMD)
- Schiffman et al. Diagnostic Criteria for TMD (DC/TMD) Validation
- MedlinePlus: Temporomandibular Disorders
主要症状
最も一般的な症状は、顎関節や耳の前あたりの痛み、咀嚼や会話など顎を動かした時の痛みの増悪です。朝起きたときの顎のこわばりや、歯の噛みしめに伴う筋肉痛もよくみられます。
口を開け閉めする際のクリック音(パチン)や、擦れる音(ギシギシ)を自覚する人もいます。これらの雑音は必ずしも病的とは限りませんが、痛みや機能障害を伴う場合には評価が必要です。
開口障害(口が指2~3本分しか開かない)、一時的なロッキング(開いたまま閉じにくい/閉じたまま開けにくい)などの機能障害が生じることがあります。
頭痛、耳鳴り、耳の閉塞感、首肩こりなどの随伴症状がみられることもあります。重篤な神経症状や持続的な腫脹・発赤、発熱がある場合は別疾患の可能性があり早急な評価が必要です。
参考文献
- NIDCR: TMD Signs and Symptoms
- NHS: Temporomandibular disorder (TMD)
- American Family Physician: TMD Rapid Evidence Review (2021)
疫学とリスク因子
TMDは成人の約5~12%に臨床的に問題となる症状がみられると報告されています。一方で、顎関節音などの所見は無症状でも多くの人にみられます。
女性に多く、男性の約2~3倍とされ、発症のピークは若年~中年成人(20~40代)です。慢性疼痛化のリスクにも性差が関与する可能性があります。
リスク因子には、顎外傷、過度の咀嚼負荷(硬い物・長時間のガム)、歯ぎしり・食いしばり、ストレス・不安、睡眠障害、うつ傾向、全身の関節過可動などが挙げられます。
OPPERA研究などの前向き研究は、心理社会的要因や痛み感受性の個人差が発症に寄与すること、また遺伝因子の関与が示唆されることを報告しています。
参考文献
- NIDCR: TMD Prevalence and Risk
- American Family Physician: TMD Rapid Evidence Review (2021)
- Slade et al. OPPERA prospective cohort overview
発生機序(病態生理)
TMDは生体力学的・炎症性・神経生理学的機序が相互に関与して生じます。関節円板の転位や顎運動の偏りは、滑膜炎や関節軟骨の変性を引き起こしうる一方、構造異常と痛みの程度は必ずしも一致しません。
筋痛型では、咀嚼筋の過負荷や筋膜痛、トリガーポイント、末梢・中枢性感作などが痛みの持続に関わります。睡眠時ブラキシズムや覚醒時の噛みしめが増悪因子となり得ます。
慢性化に伴い、痛みの抑制機構の破綻や恐怖回避行動、ストレス反応の変調が関与し、痛みの増幅・遷延に至ることがあります。心理社会的要因の評価が重要です。
一部ではホルモンや遺伝的素因が痛み感受性や組織脆弱性に影響すると考えられていますが、個々の寄与度を一律に示すことは現時点で困難です。
参考文献
診断と検査
診断は丁寧な病歴と視診・触診、顎運動の評価が基本です。軋轢音やクリック音、咀嚼筋の圧痛、開口量、下顎偏位などを観察します。
国際的にはDC/TMDが診断の標準で、症状に基づく判定(軸I)と痛み関連の心理社会的評価(軸II)を組み合わせ、治療方針決定に役立てます。
画像検査は選択的に実施します。骨病変評価にはCT/パノラマ、円板・軟部組織の評価にはMRIが有用ですが、画像所見と症状は一致しないことも多く、過剰検査は避けます。
赤旗(外傷、感染徴候、持続的な閉口不能、神経脱落症状、腫瘍の疑いなど)があれば、早急な精査を行います。
参考文献
- Schiffman et al. DC/TMD Validation (2014)
- NIDCR: TMD Diagnosis
- American Family Physician: TMD Diagnosis
治療の原則
第一選択は保存療法です。患者教育と自己管理(顎の安静、広開口の回避、柔らかい食事、温罨法・軽いストレッチ)を基盤に、短期のNSAIDsや筋弛緩薬、必要に応じて低用量三環系抗うつ薬などを検討します。
理学療法(顎関節・頸部の可動域訓練、姿勢・筋機能トレーニング)、行動療法(歯ぎしり・噛みしめの気づきと制御、ストレス対処)が有効です。スタビライゼーションスプリントは一部の症例で疼痛緩和に寄与します。
関節腔洗浄や関節鏡視下手術は、保存療法抵抗性で機械的障害が強い症例で選択されることがあります。関節内ステロイドやヒアルロン酸注入の効果は限定的で、慎重に適応を検討します。
不可逆的な咬合調整や抜歯・大掛かりな補綴は原則として推奨されません。多職種連携の包括的ケアが長期予後の改善に寄与します。
参考文献

