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広範囲慢性疼痛

目次

定義と概念

広範囲慢性疼痛は、身体の複数部位に3か月以上持続する痛みが広がっている状態を指し、国際疼痛学会が提唱する「慢性一次性疼痛」やリウマチ学会の「慢性広範囲痛(Chronic Widespread Pain: CWP)」の概念と重なります。特定の組織損傷だけでは説明しきれない痛みで、痛みの感受性や脳・脊髄の調整機構の変化が関与します。線維筋痛症はこのスペクトラムの代表例であり、診断基準や重症度評価に用いられる指標も類似しています。

診断は「痛みの広がり」「痛みの期間」「機能障害の程度」などの臨床情報を総合して行います。画像検査や血液検査に決定的な所見はなく、むしろ他疾患の除外や合併症の把握に用いられます。米国リウマチ学会のWPI(Widespread Pain Index)やSS(Symptom Severity)スコアは、症状の客観化と経時的モニタリングに役立ちます。

この状態は「侵害受容痛」「神経障害性疼痛」とは異なる第三の痛み機序である「ノシプラスチック痛」が主体とされます。ノシプラスチック痛では末梢組織の明確な損傷が乏しくても、中枢神経系の痛み処理の変化により痛みが持続・増強します。感作(セントラルセンシタイゼーション)という現象が鍵となり、通常なら痛みを抑える下行性抑制機構の効率低下も示唆されています。

広範囲慢性疼痛は単なる長引く痛みではなく、睡眠障害、疲労、認知機能の不調、気分症状など多面的な問題を伴いやすい「生物心理社会的」な健康課題です。そのため、診療では医学的評価に加え、生活背景、心理的ストレス、職場や家庭での支援状況まで視野に入れた包括的なアプローチが必要とされます。

参考文献

疫学と負担

広範囲慢性疼痛(CWP)は一般人口の数%から約1割にみられるとされ、研究や診断基準により推定値は変動します。女性に多く、年齢が上がるにつれて増加し、中年期に高くなる傾向が報告されています。これらの疫学的特徴は複数の国・地域で概ね一貫して観察されています。

個人にとっての負担は、痛みそのものに加え、睡眠の質低下、抑うつ・不安の合併、就業困難、社会参加の制約など広範に及びます。これにより生活の質(QOL)が低下し、家族や職場にも影響が波及します。症状の変動性や再燃・寛解を繰り返す経過も特徴のひとつです。

社会・経済的負担も大きく、医療受診の増加、薬剤・リハビリ費用、労働損失、生産性低下などの形で可視化されます。早期からの適切な評価と多面的介入により、重症化や長期化の抑制、医療資源の適正な利用に寄与することが示唆されています。

日本でも慢性痛の有病者は一定数存在し、痛み関連の経済損失は大きいと推測されています。文化・医療制度の違いにより医療利用行動は異なるものの、広範囲慢性疼痛がもたらす社会的課題は国際的に共通しており、一次医療から専門医療まで切れ目のない支援体制が求められます。

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病態生理

広範囲慢性疼痛では中枢神経系の痛み処理の異常が中心的役割を果たします。機能的MRI研究では、痛み関連ネットワークの過活動や、安静時機能結合の変化が示され、感作による痛覚過敏、アロディニア(本来痛くない刺激が痛く感じる)が説明されます。脊髄後角ニューロンの興奮性亢進、海馬・扁桃体のストレス反応の異常も関与します。

下行性疼痛抑制系(脳幹~脊髄)の機能低下は、内因性オピオイドやセロトニン・ノルアドレナリン作動性の抗侵害受容機構の効率低下として観察されます。これが、SNRIsや三環系抗うつ薬が症状緩和に寄与する根拠のひとつとなります。さらに自律神経系の不均衡、HPA軸のストレス応答異常、炎症性サイトカインの微妙な変動も報告されています。

末梢レベルでは、小径線維(Cファイバー)や小径有髄線維の機能変化を示唆する所見が一部で報告され、小線維ニューロパチー様の表現型を持つサブグループの存在が議論されています。ただし、全例で説明できる統一的機序が確立したわけではなく、表現型は多様です。

これらの生物学的要因は、睡眠不足、心理的ストレス、活動量の低下、恐怖回避行動などの心理社会的要因と相互に影響し合います。痛みが不安や不眠を助長し、それがさらなる感作や痛みの増悪を招く「悪循環」を形成しやすいため、治療も多面的な介入が必要になります。

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遺伝・環境要因

双生児研究では、慢性広範囲痛の遺伝率はおおむね30~50%と推定され、遺伝要因と共有・非共有の環境要因がほぼ同程度に寄与することが示唆されています。これは特定の「痛み遺伝子」ではなく、多数の共通変異の小さな効果が積み重なる多因子性の特徴を示します。

ゲノムワイド関連解析(GWAS)では、うつ病傾向、多部位疼痛、痛み感受性に関連する多数の遺伝子座が報告され、神経発達、シナプス可塑性、モノアミン系、炎症シグナル等の経路が関与する可能性が示されています。ただし、個々のバリアントの効果量は小さく、臨床での遺伝子検査活用は現時点で推奨されません。

環境要因としては、女性であること、加齢、睡眠障害、心理的ストレスや外傷的体験、抑うつ・不安、身体活動の不足、喫煙、肥満、反復する身体的負荷や外傷、感染後症候群などがリスク上昇と関連します。これらは単独でなく相互に影響し、発症や遷延化に関わります。

予防と二次予防の観点では、良好な睡眠衛生、ストレス対処、定期的な有酸素運動と筋力トレーニング、職場環境の調整、早期のリハビリ介入が推奨されます。リスク因子を多面的に減らすことが、痛みの広がりや慢性化の抑制に寄与します。

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診断・治療とケア

診断は詳細な問診と身体診察を基盤に、痛みの分布、期間、関連症状、機能障害、心理社会的背景を総合評価します。必要に応じて他疾患の除外検査を行いますが、過剰な画像・採血の反復は不必要な不安や医療化を招き得るため、適応を見極めます。標準化された質問票(WPI/SS、痛み関連QOL尺度)の活用は有用です。

治療は多職種連携による多面的アプローチが基本です。教育(痛みの仕組みの理解)、有酸素運動・筋力トレ、ストレッチ、認知行動療法や痛み教育、睡眠衛生の是正、職場復帰支援などを組み合わせます。薬物療法はSNRIs(デュロキセチン、ミルナシプラン)や三環系抗うつ薬、プレガバリンなどが一定のエビデンスを持ちます。長期のオピオイドは推奨されません。

鍼治療や一部の補完療法は、適切な安全管理のもとで症状緩和の一助となる場合があります。治療選択は患者の価値観・目標と合致させ、痛みの完全消失よりも機能改善と生活の質の向上を重視します。変化には時間がかかるため、段階的な目標設定とセルフマネジメントの支援が重要です。

日本では公的医療保険の下で一般外来・ペインクリニック・リハビリが受診可能です。費用負担を軽減する高額療養費制度や、医療費控除などの公的支援も利用できます。地域の保健活動や職場の産業保健と連携し、継続的なケアを構築することが望まれます。

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