左脳の側頭紡錘状皮質前部灰白質の容積
目次
解剖学的定義と位置
左脳の側頭紡錘状皮質前部は、側頭葉の腹側表面に位置する紡錘状回(fusiform gyrus)の前方部分を指し、Harvard–OxfordやGlasserなどのアトラスでは「Temporal Fusiform Cortex, anterior division」として区分されることが多い領域です。灰白質の容積とは、神経細胞の体部や樹状突起を含む皮質灰白質の空間的な体積のことで、MRIの組織分類により推定します。
この領域は、高次の視覚認知(物体・顔・文字の認識)と意味処理に関わる腹側視覚経路の要所であり、左半球では特に語彙・読字と関連が強いと考えられています。解剖学的には前外側は下側頭回や前側頭葉皮質と連続し、後方は中・後部紡錘状皮質へ移行します。
アトラスにより境界は若干異なり、Harvard–Oxfordでは皮質マクロ領域ベースの確率的分布、HCP-MMP1.0では多因子に基づく細分が行われます。そのため、同じ「前部紡錘状皮質」でも体積値の再現性はアトラス依存性を受けます。
左・右の解剖学的非対称性も知られており、言語優位半球である左では読字・語彙に関わるネットワークとの連結が強いことが示唆されますが、体積そのものの左右差は年齢やサンプル、手法によりばらつきます。
参考文献
- FSL Harvard–Oxford Atlas
- Glasser et al. A multi-modal parcellation of human cerebral cortex (Nature 2016)
測定と定量化
灰白質容積は主にT1強調3D構造MRI(例:MPRAGE)から、バイアス補正、頭蓋内抽出、組織分類(灰白・白質・脳脊髄液)、領域分割を経て算出されます。体積は領域内の灰白質ボクセル数にボクセル体積を掛け合わせて求めます。
代表的なソフトウェアにはFreeSurfer(表面ベースの皮質再構築とアトラス分割)、SPM/CAT12(ボクセルベース形態計測:VBM、ROI集計)、FSL(FASTでの組織分類とHarvard–OxfordアトラスによるROI抽出)があります。
測定値は頭蓋内容量(ICV)の個人差やスキャナ/プロトコル差の影響を受けるため、ICVで正規化したり、年齢・性別・施設を共変量とする統計モデルで補正します。テスト・リテストや縦断一貫処理(FreeSurfer longitudinal pipeline)で信頼性を高めます。
理論的背景としては、VBMは確率的セグメンテーションと空間正規化に基づき、グループ比較に適します。一方、表面ベース法は皮質厚・面積・体積を幾何学的に分離でき、部位特異的な形態指標の解釈に有用です。
参考文献
遺伝と環境の影響
大規模ツイン・GWAS研究により、皮質の表面積は中等度〜高い遺伝率(おおむね0.4〜0.7)、皮質厚は低〜中等度(0.2〜0.5)を示すことが報告されています。灰白質容積は両者の影響を受けるため、総じて中等度の遺伝率が見込まれます。
紡錘状皮質前部に限定した正確な遺伝率は報告が限られますが、腹側側頭領域は一般に表面積の遺伝性が相対的に高い傾向が示されています。一方で環境因子(教育、読み書き経験、視覚経験、全身健康など)も無視できません。
GWASでは皮質形態に関連する多数の多遺伝子座が同定され、発生期の皮質パターン形成やシナプス機能に関わる遺伝子が示唆されています。ただし、各変異の効果量は非常に小さく、ポリジェニックな性質を持ちます。
環境側では発達期の経験依存的可塑性、学習、疾患・薬剤、睡眠や身体活動、代謝・血管リスクなどが長期的に形態に影響し得ます。因果推論には縦断研究や介入研究が必要です。
参考文献
- Grasby et al. The genetic architecture of the human cerebral cortex (Nat Genet 2020)
- Elliott et al. Genome-wide association studies of brain imaging phenotypes (PNAS 2018)
臨床的意義
左前部紡錘状皮質は文字・語彙処理や意味ネットワークと結びつき、失語症スペクトラム、読字障害、てんかん(側頭葉てんかん)、神経変性疾患(前側頭型認知症・意味性認知症、アルツハイマー病)などで体積減少が観察されることがあります。
特に意味性認知症では前側頭葉の萎縮が顕著で、紡錘状皮質を含む腹側側頭領域の萎縮パターンが臨床症状(語義知識の喪失、呼称障害)と対応することが多いとされます。
てんかん外科領域では、側頭葉焦点に関連する灰白質の構造変化が予後や認知アウトカムに関与し得るため、定量形態計測が補助情報となります。
ただし、体積単独では診断は確定できず、症状、神経心理検査、他の画像・生体マーカー(FDG-PET、アミロイド/タウPET、EEG等)との統合が重要です。
参考文献
- Lambon Ralph et al. The neural and computational bases of semantic cognition (Nat Rev Neurosci 2017)
- Price & Devlin. The Interactive Account of ventral occipitotemporal contributions (Trends Cogn Sci 2011)
解釈と限界
個人の体積値は、年齢・性別・頭蓋内容量・スキャナ条件・パーセル化法で大きく変動します。したがって、標準化(ICV補正、zスコア化)と、同一条件での経時変化の把握が重要です。
「正常範囲」は母集団依存で、年齢と性別に適合した正規化参照(例:大規模バイオバンク、ベンダー提供の規範データ)を用いたパーセンタイル表示が実務的です。
計測の再現性にはモーションやアーチファクトが影響します。テスト・リテスト研究は多くの指標で良好な再現性を示す一方、細分化された小領域では変動が相対的に大きくなり得ます。
最終的な臨床判断は画像所見と臨床像の整合性に基づき、単一の数値を過度に解釈しないことが推奨されます。
参考文献

