左脳の下側頭回後部の灰白質容積
目次
概念と位置づけ
左脳の下側頭回後部は、側頭葉外側面の腹側に位置し、後方は後頭葉と隣接する領域です。視覚情報を物体や文字として同定する「腹側視覚路(What経路)」の終盤に属し、紡錘状回や下後頭回と密接に結びついています。ここでいう灰白質容積は、神経細胞の細胞体や樹状突起、シナプスなどを主成分とする皮質の体積指標を指します。
解剖学的には、下側頭回は前部・中部・後部に大別され、後部は視覚入力により近く、形状・語形の視覚表現と連合記憶の初期アクセスに寄与すると考えられています。左半球の後部は言語処理と読字に相対的に特化し、単語・擬単語の視覚認識に関連する活動が多く報告されています。
灰白質容積は、発達や学習、加齢、疾患に伴う微細な構造変化を反映します。体積の増減は必ずしも神経細胞数の単純な増減を意味せず、樹状突起の分枝、シナプス密度、グリアの変化、微小血管など多因子の合成指標である点に注意が必要です。
この領域の容積は、読字能力、語彙知識、物体認識の個人差と関連する可能性が指摘されており、臨床では失読や語義障害、視覚性失認、神経変性の進展様式を理解する補助指標として参照されます。測定はMRIを用いた体積計測や表面ベース計測で行われます。
参考文献
- Inferior temporal gyrus - Wikipedia
- The Neural Basis of Object Recognition
- The visual word form area: a prelexical representation of visual words?
遺伝と環境の寄与
皮質の形態指標には遺伝と環境の双方が寄与します。双生児研究や家系研究では、側頭葉皮質の厚みや面積、容積に中等度から高い遺伝率が示されています。ただし、領域ごとに値は異なり、測定法(厚み・面積・容積)でも変動するため、単一の固定値を断言することはできません。
大規模遺伝学研究(GWAS)では、皮質面積は厚みより高い遺伝率を示す傾向があり、領域によっては50〜80%の範囲が報告されています。容積は両者の合成であり、一般に40〜70%程度が遺伝要因で説明され、残余は主に個人特有の環境要因に帰属されます。共有環境の寄与は成人では小さいことが多いと示唆されています。
左下側頭回後部に限定した厳密な遺伝率推定は少ないものの、同じ側頭葉外側皮質の報告から、この領域も中等度(おおむね0.4〜0.6)の遺伝率に位置づくと考えるのが妥当です。年齢、サンプル特性、前処理、パーセレーションで数字は変わります。
従って、遺伝と環境の比率は「遺伝40〜70%、共有環境0〜10%、個人特有の環境30〜60%」程度の幅を持って捉えるのが現実的です。これは疾患感受性や認知機能の個人差を理解する上で重要な含意をもちます。
参考文献
- Genetic architecture of the human cerebral cortex (Science, 2020)
- Distinct Genetic Influences on Cortical Surface Area and Thickness (JNeurosci, 2009)
- Genetic contributions to human brain morphology (PNAS, 2006)
測定と定量の方法
最も一般的な定量はT1強調構造MRIに基づきます。ボクセルベース形態計測(VBM)では、組織分節により灰白質を抽出し、標準空間への非線形変形後に体積密度を平滑化して統計比較します。変形ヤコビアンで体積保持する「モジュレーション」により区域ごとの相対体積を評価します。
表面ベース手法(例:FreeSurfer)は皮質表面を再構成し、頂点ごとの厚みや面積を算出、領域パーセレーションによりROI体積を導出します。容積は厚み×面積に関連するため、厚み・面積の分解解析と併用すると機序の解釈が深まります。
左下側頭回後部の抽出には、Desikan-Killianyなどの解剖学的アトラスを用いた上で、後方サブリージョンを独自に定義(例:前後軸の後方1/3やMNI座標のy閾値)する方法が実務的です。紡錘状回や下後頭回との境界の扱いに注意します。
補正として頭蓋内容積(ICV)、年齢、性別、スキャナ、サイトを共変量に入れることが推奨されます。前処理はDARTELなどの高精度変形、ハーモナイゼーションにはComBat等が利用され、マルチサイト間の系統差を抑制します。
参考文献
- SPM Manual (VBM/DARTEL)
- A fast diffeomorphic image registration algorithm (DARTEL)
- FreeSurfer official website
解釈と臨床的意義
単一個人の絶対容積の大小を、そのまま良否で判断するのは適切ではありません。年齢・性別・ICVで補正し、同条件の健常母集団に対する偏差(zスコア、パーセンタイル)として位置づけるのが基本です。左右差や隣接領域とのパターンも併せて評価します。
発達期には容積の増大が、成人期以降は緩徐な減少が一般的であり、疾患でも部位特異的な萎縮パターンが現れます。左後部下側頭回では、読字困難や語義障害を伴う病態での低下が報告される一方、学習介入後に微小な増大が観察されることもあります。
グループ差は統計的に有意でも、個人診断には感度・特異度が十分でないことが多く、臨床症状、神経心理検査、他モダリティ(拡散MRI、fMRI、FDG-PETなど)との総合判断が欠かせません。
縦断的な変化率は横断的な絶対値より頑健なことがあり、同一施設・同一プロトコルでの再検が有用です。測定誤差、動き、前処理の違いが見かけ上の変化を生むため、品質管理(QC)が重要です。
参考文献
- Brain charts for the human lifespan (Nature, 2022)
- Understanding heterogeneity through normative models (Nat Rev Neurosci, 2016)
- Standards and pitfalls in MRI morphometry (overview via SPM)
関連機能と疾患
左後部下側頭回は、視覚単語形領域(VWFA)に近接し、文字列の視覚認識から音韻・意味へのマッピングを支えるネットワークの一部です。物体カテゴリ選択性も示し、顔や道具などのカテゴリ表現との相互作用があります。
発達性読み障害(ディスレクシア)では、左後部の側頭—後頭皮質で灰白質や機能応答の低下がメタ解析で示されています。これらの差異は群平均レベルの傾向であり、個人診断には直接用いられません。
神経変性では、意味性認知症(svPPA)で前側頭優位の萎縮が有名ですが、進行に伴い後部側頭皮質も巻き込まれ得ます。後頭葉優位の病態(後部皮質萎縮)では、視覚認知障害とともに後方側頭皮質の変化が見られます。
精神神経疾患(統合失調症、自閉スペクトラムなど)でも側頭皮質の形態変化が報告されますが、効果量は小さく、異質性が大きいことから、個人レベルでは慎重な解釈が必要です。
参考文献

