左海馬溝容積
目次
概念と解剖学的背景
左海馬溝容積とは、側頭葉内側にある海馬形成の中で、歯状回と海馬本体の間に発生学的に形成される「海馬溝(hippocampal sulcus/fissure)」に相当する脳脊髄液(CSF)で満たされた隙間の体積を、左側で定量した指標を指します。海馬溝自体は主として胎生期に形成され、成人では痕跡的に残ることが多く、神経細胞が集まる実質ではありません。
海馬溝の開大や容積の大きさは、海馬実質の形状や加齢性変化、疾患に伴う萎縮の間接的な反映として観察されることがあります。したがって、左海馬溝容積は「海馬の組織そのものの量」ではなく、「海馬周囲の隙間の広がり」を見る指標である点に注意が必要です。
画像上は主に高解像度T1強調あるいはT2強調MRIの冠状断で評価され、手動または自動の亜野分類セグメンテーションでラベル化されます。FreeSurferやASHSなどのツールでは、海馬溝を独立ラベルとして扱い、体積として出力できます。
左海馬溝容積は、左右差や個人差が大きく、測定手法やスキャナ条件にも影響を受けます。このため、個別値のみでの解釈ではなく、年齢・性別・頭蓋内容量などで補正した規範データとの比較が推奨されます。
参考文献
- Radiopaedia: Hippocampal sulcus remnant
- Iglesias et al., A computational atlas of the hippocampal formation (NeuroImage, 2015)
- FreeSurfer: Hippocampal Subfields
遺伝・環境要因
左海馬溝自体の容積に特化した遺伝率の確立値は限られますが、海馬全体容積や内側側頭葉構造に関する双生児研究では中等度から高い遺伝的寄与が示唆されています。一般に海馬容積の遺伝率はおよそ0.4〜0.7と報告され、残余は共有環境・個人環境要因により説明されます。
これを海馬溝容積に外挿する場合、遺伝の影響が数十%は関与し得る一方、出生前後の発達や生涯における環境要因(脳血管リスク、生活習慣、教育年数など)が形態に影響し得るという解釈が妥当です。
ゲノムワイド関連解析(GWAS)は海馬を含む皮質下構造の体積に関連する多遺伝子の効果を示しており、解剖学的サブフィールドにも遺伝的多様性が及ぶことが推定されます。もっとも、海馬溝ラベルは実質ではなく空隙であるため、遺伝の影響は間接的に実質の形態を介して表れる可能性があります。
結論として、左海馬溝容積の個人差は、遺伝と環境の双方の影響を受ける多因子性形質と考えられます。研究や臨床で用いる際は、家族歴や環境リスク、測定誤差の寄与も含めて慎重に評価する必要があります。
参考文献
- Blokland et al., Heritability of human brain structure (Hum Brain Mapp, 2012)
- Hibar et al., Genetic architecture of subcortical structures (Nature, 2015)
測定法と理論
左海馬溝容積の定量は、1mm等方程度の3D T1強調MRIに基づくアトラス駆動のセグメンテーションが標準的です。FreeSurferの海馬亜野自動分割や、ASHS(Automated Segmentation of Hippocampal Subfields)などが用いられます。
理論的には、外部参照アトラス(剖検標本や超高解像MRI由来)の形状事前分布と、被験者画像の強度分布をベイズ的に統合することで、海馬溝を含む各サブフィールドの確率マップが推定されます。
高解像度T2での冠状斜位撮像は海馬層構造のコントラストに優れ、手動トレースや半自動法の精度向上に寄与します。ただし、部分容積効果やコントラストのばらつきは誤差源となるため、品質管理が不可欠です。
測定結果は、頭蓋内容量補正や年齢補正を行い、同一手法・同一スキャナの規範データに対するzスコアや百分位で解釈するのが実践的です。
参考文献
- Iglesias et al., A computational atlas of the hippocampal formation (NeuroImage, 2015)
- ASHS (Automated Segmentation of Hippocampal Subfields)
- Wisse et al., Harmonized protocol for hippocampal subfields (Alzheimers Dement, 2017)
臨床的意義と解釈
左海馬溝容積が大きいことは、同側海馬の実質萎縮や形態変化を間接的に示唆することがあります。高齢化やアルツハイマー病では、海馬実質が減少し、相対的に溝が目立って見えることが報告されています。
一方で、海馬溝は正常でも可視化され得る解剖学的変異であり、単独での異常所見とは限りません。臨床症状、神経心理検査、他のMRI指標(海馬体積、皮質厚など)と合わせて総合判断することが重要です。
てんかん(内側側頭葉てんかん)では、海馬硬化と関連して溝の形態が変化する症例が知られていますが、診断は包括的な画像読影と臨床所見が前提で、溝容積単独での診断は推奨されません。
したがって、異常値が示唆される場合は、神経内科・脳神経外科・認知症専門外来等での評価を受け、リスク管理や必要な追加検査(追加MRI系列、血液検査、認知機能評価)を検討します。
参考文献
- Radiopaedia: Hippocampal sulcus remnant
- Wisse et al., Harmonized protocol for hippocampal subfields (Alzheimers Dement, 2017)
実務上の注意点
海馬溝容積には国際的な「正常値レンジ」は確立していません。測定法・スキャナ・前処理の差で絶対値が変わるため、同一環境の規範データと比較することが基本です。
左右差は個人差が大きく、左優位・右優位いずれもあり得ます。左側は言語優位半球であることが多いものの、海馬溝容積の左右差と高次機能の対応は一義的ではありません。
偽陽性の典型例として、脈絡叢や血管周囲腔、撮像アーチファクトが溝に誤って含まれることがあります。視覚的チェックと品質管理手順を必ず伴わせるべきです。
研究・臨床報告では、年齢、頭蓋内容量、教育年数、血管リスク、うつ症状など潜在的交絡因子を調整し、解釈に過剰な一般化を避けることが重要です。
参考文献

