左心室壁の厚さ
目次
定義と正常範囲
左心室壁の厚さは、心臓の左心室(全身に血液を送り出す主ポンプ)の壁の厚みを示す形態学的な指標です。通常は拡張末期(心臓に血液が満たされた時点)に計測され、心エコーでは中隔(IVS)と後壁(PW)の厚さが代表値として用いられます。壁厚は連続的な量であり、年齢・性別・体格・測定法の影響を受けるため、解釈には文脈が重要です。
成人では、国際学会の基準に基づく正常値範囲が性別で異なります。たとえば心エコーの推奨では、男性の拡張末期壁厚はおおむね6–10 mm、女性は6–9 mmが正常とされ、これを超えると軽度・中等度・高度の肥厚に分類されます。なお、体格(体表面積)に応じた補正や、心筋重量指数などの総合指標も併用されます。
同じ個人でも測定モダリティにより値はわずかに異なりえます。心エコーはベッドサイドで繰り返し評価できる利点がある一方、心臓MRI(CMR)は空間分解能が高く、局在的な肥厚やびまん性線維化の評価に優れます。したがって、スクリーニングやフォローではエコー、詳細な組織性状や複雑な形態評価にはMRIと、目的に応じた使い分けが推奨されます。
生理的適応としての壁厚増加(アスリート心)と、病的肥厚(高血圧や心筋症など)を区別することが重要です。生理的肥厚では拡張機能や左室サイズが保たれ、運動離脱で可逆性を示す傾向がありますが、病的では拡張障害や線維化を伴い、予後不良のシグナルとなります。臨床では背景疾患・家族歴・画像パターンの総合判断が欠かせません。
参考文献
- ASE/EACVI 2015 Recommendations for Cardiac Chamber Quantification
- ESC e-Journal: Athlete’s heart or hypertrophic cardiomyopathy?
- StatPearls: Left Ventricular Hypertrophy
測定方法の実際と注意点
標準的な心エコーでは、傍胸骨長軸像でMモードまたは2Dガイド下に、拡張末期の中隔と後壁厚を計測します。測定は弁輪レベルよりやや基部側で、乳頭筋より上方のレベルが推奨されます。不適切なゲイン設定や斜入は過大評価の原因となるため、画像品質の最適化と複数断面での確認が求められます。
左室心筋重量(LVM)の推定にはDevereux式などが用いられ、体表面積で除した左室心筋重量指数(LVMI)が肥大の定量化に有用です。LVMIは予後予測能が高く、単純な壁厚よりも臨床的意思決定に適しています。心筋重量の算出は形状仮定の影響を受けるため、重症弁膜症や幾何学的変形例では注意が必要です。
心臓MRIは局在的な最大壁厚、分節ごとの厚さ、心筋遅延造影やT1マッピングを通じた線維化・浸潤の評価が可能で、肥厚の原因鑑別(たとえば肥大型心筋症とアスリート心、アミロイドーシスやファブリー病)に大きく寄与します。MRIは再現性に優れますが、コストとアクセスの課題があります。
心電図は左室肥大のスクリーニングに用いられますが、感度は限定的です。Sokolow-LyonやCornell基準などの電圧基準は特異度は比較的高いものの、肥厚を見逃すことが少なくありません。したがって、症状やリスク因子があれば画像検査での確認が推奨されます。
参考文献
- ASE/EACVI 2015 Recommendations for Cardiac Chamber Quantification
- Society for Cardiovascular Magnetic Resonance (SCMR) standardized CMR protocols
- StatPearls: Left Ventricular Hypertrophy
生理学的意義と壁応力
左心室は全身血圧に抗して血液を駆出するため、壁厚と内腔径のバランスが機械的効率を左右します。ラプラスの法則に従い、圧負荷が増すと壁応力を正規化するために壁厚が増加する適応が生じ、これが同心性肥大の基盤となります。これ自体は代償反応ですが、過度・持続すると病的リモデリングに移行します。
生理的肥大(アスリート心)は、成長因子シグナル(PI3K-Aktなど)を介した均衡のとれた肥大で、拡張機能が保たれ可逆的です。一方、病的肥大ではアンジオテンシンII、カテコラミン、エンドセリンなどの神経体液性因子や、カルシニューリン-NFAT経路等が関与し、線維化・拡張障害・電気的不均一性が進行します。
左室肥大は独立した予後不良因子であり、心不全、致死性不整脈、脳卒中、冠動脈イベントのリスクを高めます。特に心筋重量指数の増加や、MRIでの遅延造影の存在はリスク層別化に有用です。肥大の退縮が得られるとイベント率が低下することが複数研究で示されています。
臨床では、壁厚そのものだけでなく、左室サイズ、相対的壁厚(RWT)、心筋重量、拡張機能、ストレイン解析などを組み合わせ、幾何学的表現型(同心性肥大、偏心性肥大、同心性リモデリング)を評価します。これにより病因推定と治療標的の明確化が可能になります。
参考文献
- StatPearls: Left Ventricular Hypertrophy
- ESC e-Journal: Left ventricular hypertrophy (review)
- Levy D et al. Prognostic implications of echocardiographic left ventricular mass (NEJM 1990)
病因スペクトラム(高血圧、心筋症、浸潤・代謝性疾患、アスリート心)
最も一般的な病的原因は高血圧です。慢性的な圧負荷は同心性肥大を誘導し、拡張障害、心房細動の素地、微小循環障害をもたらします。降圧により肥大が退縮しうるため、早期からの厳格な血圧管理が基本です。大動脈弁狭窄症でも同様の機序で壁厚増加が生じます。
肥大型心筋症(HCM)はサルコメア遺伝子変異を背景とする原発性心筋症で、しばしば非対称性中隔肥厚と心筋錯綜配列を呈します。若年からの肥厚、家族歴、運動時失神などが手掛かりとなり、家族スクリーニングや遺伝学的検査が推奨されます。薬物・手術・新規ミオシン阻害薬などの治療選択肢があります。
心筋アミロイドーシスやファブリー病などの浸潤・代謝性疾患は壁厚増加を伴いますが、心筋の“硬さ”や組織特性が異なり、MRIのT1マッピングや遅延造影が鑑別に役立ちます。これらは特異的治療が存在するため、見逃さないことが重要です。慢性腎臓病、肥満、睡眠時無呼吸も肥厚に寄与します。
競技アスリートでは生理的適応として壁厚が増加することがありますが、通常は左右対称で、拡張機能やストレインが保たれます。運動離脱で改善する点や、家族歴・遺伝背景が乏しい点が鑑別に有用です。高度肥厚(≥15 mm)ではHCMとのオーバーラップがあり、総合的な評価が必須です。
参考文献
- 2020 AHA/ACC Guideline for Hypertrophic Cardiomyopathy
- ESC e-Journal: Athlete’s heart or hypertrophic cardiomyopathy?
- StatPearls: Left Ventricular Hypertrophy
臨床的影響と管理の要点
左室壁の肥厚は無症候から労作時息切れ、胸痛、動悸、失神に至るまで多彩な臨床像を示します。症状はしばしば基礎疾患(高血圧、弁膜症、HCM、浸潤性疾患)に由来し、心エコーやMRI、心電図、血液検査、必要に応じ遺伝学的検査を組み合わせて原因を同定します。
管理の第一歩は原因疾患の最適治療です。高血圧に対してはACE阻害薬/ARB、カルシウム拮抗薬、利尿薬などで厳格な血圧管理を行い、体重減量や減塩、睡眠時無呼吸の是正も重要です。弁膜症には外科治療やTAVIが選択されます。
HCMではβ遮断薬やベラパミル/ジルチアゼム、必要時ジソピラミドなどで左室流出路狭窄や症状を軽減します。薬剤抵抗性で重症の閉塞性HCMには中隔心筋切除術や経皮的心筋焼灼術が検討されます。近年は選択的ミオシン阻害薬マバカムテンが症状改善と機能指標の改善を示しました。
予後改善にはリスク層別化が重要です。持続的な左室肥大はイベントリスクを高めるため、数値の経時変化を追跡し、心房細動や虚血、心不全徴候を早期に捉えます。HCMでの突然死リスクが高い場合は植込み型除細動器(ICD)の検討が推奨されます。
参考文献

