妊娠糖尿病
目次
- 妊娠糖尿病の概要
- 妊娠糖尿病の症状
- 妊娠糖尿病の発生機序
- 遺伝的要因(関連遺伝子とエビデンス)
- 環境的要因・生活習慣要因
- 世界と日本の罹患率
- 診断・スクリーニングと早期発見
- 治療(生活療法と薬物療法)
- 費用と公的サポート(日本)
- 予防と再発予防
妊娠糖尿病の概要
妊娠糖尿病(gestational diabetes mellitus, GDM)は、妊娠中に初めて見つかる耐糖能異常のうち、明確な糖尿病(妊娠前からの糖尿病や早期妊娠で診断される糖尿病)を除いた状態を指します。多くは妊娠中期以降に発見され、出産後には血糖が正常化することが少なくありませんが、その後の2型糖尿病発症リスクは有意に高まります。
妊娠中は胎盤由来ホルモンの作用で生理的にインスリン抵抗性が高まり、膵β細胞のインスリン分泌増加で代償します。GDMはこの代償が不十分なときに起こり、母体・胎児双方に合併症リスクを増やします。具体的には巨大児、肩甲難産、妊娠高血圧症候群、分娩合併症、新生児低血糖などが知られています。
診断は経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)が標準で、IADPSG/WHO基準では75g OGTTで空腹時92mg/dL、1時間180mg/dL、2時間153mg/dLのいずれかを超えるとGDMとします。わが国でもこの基準が広く用いられています。
治療の中心は食事療法と運動療法で、自己血糖測定を行いながら目標血糖(例:空腹時95mg/dL未満、食後1時間140mg/dL未満、2時間120mg/dL未満)を目指します。コントロール不良ではインスリン療法が推奨され、分娩計画や胎児発育のモニタリングも重要です。
参考文献
- WHO 2013: Diagnostic criteria and classification of hyperglycaemia first detected in pregnancy
- ACOG Practice Bulletin No. 190: Gestational Diabetes Mellitus (2018)
- ADA Standards of Medical Care in Diabetes—Pregnancy chapter (2024)
妊娠糖尿病の症状
GDMは多くの場合、自覚症状に乏しく、定期妊婦健診のスクリーニングで見つかります。非妊娠時の糖尿病で見られる口渇、多尿、体重減少、倦怠感などは出現しないことも多く、症状の有無だけでの見極めは困難です。
一方で、血糖上昇が顕著な場合には、口渇や頻尿、疲労感、感染症の反復(膣カンジダなど)を自覚することがあります。ただし妊娠に伴う生理的変化と重なりやすく、症状のみで判断しないことが重要です。
GDMが未治療・不十分に管理された場合、胎児の過剰発育(巨大児)や羊水過多、母体の妊娠高血圧症候群、分娩時の合併症リスクが高まります。新生児期には低血糖、多血症、高ビリルビン血症などが起こり得ます。
症状が乏しいことから、妊娠24〜28週の系統的スクリーニングと、ハイリスク妊婦への早期検査が極めて重要です。既往GDM、肥満、家族歴、PCOS、高年妊娠などの背景がある場合は早めの評価を受けましょう。
参考文献
妊娠糖尿病の発生機序
妊娠中期以降、ヒト胎盤ラクトゲン、プロゲステロン、エストロゲン、コルチゾール、プロラクチンなどのホルモンが増え、肝糖産生促進と末梢インスリン感受性低下をもたらします。これは胎児へブドウ糖を十分供給するための生理的適応です。
母体は膵β細胞量とインスリン分泌を増やして代償しますが、遺伝素因や肥満、炎症、脂肪組織由来サイトカインの影響でこの代償が不十分だと高血糖を呈しGDMが成立します。
脂質代謝の変化も関与し、妊娠後期には脂肪分解亢進と遊離脂肪酸増加が顕著になります。これが骨格筋・肝のインスリン抵抗性をさらに高め、食後高血糖の持続につながります。
胎盤から分泌されるサイトカイン(TNFαなど)や、睡眠・概日リズム関連のメラトニン受容体シグナルも糖代謝に影響する可能性が示唆されています。こうした多因子的相互作用がGDMの病態を形作ります。
参考文献
- Endotext/StatPearls: Gestational Diabetes (pathophysiology overview)
- Diabetologia review: Catalano PM. Obesity, insulin resistance, and pregnancy outcomes
遺伝的要因(関連遺伝子とエビデンス)
GDMは2型糖尿病と遺伝的背景を部分的に共有し、膵β細胞機能やインスリン分泌に関わる多くの多型がリスク増加と関連します。代表的にはMTNR1B、TCF7L2、GCK、KCNJ11、CDKAL1などが挙げられます。
MTNR1B(メラトニン受容体1B)座位の多型(例:rs10830963)は空腹時血糖の上昇とGDMリスク増加に関連し、概日リズムと糖代謝の接点を示します。TCF7L2多型はインスリン分泌低下と関連し、GDMでも再現性のある関連が報告されています。
ただし、個々の遺伝子の寄与は小さく、ポリジェニック(多因子)な累積効果として現れます。集団や診断基準により効果推定が異なるため、単一遺伝子での予測は現時点で実用的ではありません。
全体として「遺伝と環境が相互作用して発症する」という理解が妥当で、遺伝率や遺伝・環境の固定的な比率を一般化して示すことは困難です。家族歴はなお重要な臨床的手がかりになります。
参考文献
- World Journal of Diabetes review: Gestational diabetes mellitus—from pathophysiology to clinical practice (2019)
- StatPearls: Gestational Diabetes—Risk factors and genetics
環境的要因・生活習慣要因
環境・生活習慣はGDM発症リスクに大きく影響します。妊娠前の肥満(BMI高値)、過度の妊娠中体重増加、身体活動不足は強いリスク因子です。年齢も関係し、35歳以上の初産ではリスクが上昇します。
家族歴(とくに母親や姉妹の糖尿病)、既往GDM、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)、既往巨大児分娩、妊娠高血圧の既往などもリスク増加と関係します。喫煙や睡眠不足、交代制勤務なども関与が示唆されています。
民族差も存在し、アジア系、南アジア、ヒスパニック、アフリカ系などでGDMの頻度が高い傾向があります。アジア人は低BMIでもインスリン分泌能の相対的低さからリスクが上がることがあります。
食事パターンとして、精製炭水化物・糖分の多い食事、飽和脂肪の過剰摂取はリスクを高め、全粒穀物、食物繊維、適切な脂質バランス、規則的な身体活動はリスクを低減させる可能性があります。
参考文献
世界と日本の罹患率
世界的には診断基準により幅がありますが、IADPSG/WHO基準では妊娠の約5〜15%がGDMと推定されます。IDFは妊娠関連高血糖が全出産の約16.7%にみられ、その大多数がGDMと報告しています。
日本ではIADPSG基準導入後に有病率が上昇し、施設や地域差はあるものの概ね数%台後半〜1割弱と報告されています。高齢妊娠や肥満の増加が背景にあります。
民族差・年齢構成・肥満率・スクリーニングの実施状況により各国・地域の数字は異なります。国際比較をする際は用いた診断基準と妊婦集団の特性を確認する必要があります。
GDMは妊娠女性に特有の疾患であり、「男女別罹患率」という比較は概念的に適用できません。年齢別では高年妊娠ほど頻度が上昇する傾向が一貫して認められます。
参考文献
診断・スクリーニングと早期発見
スクリーニングは妊娠24〜28週に行うのが標準で、75g OGTTを直接実施する方式(WHO/IADPSG)と、50g経口ブドウ糖負荷試験(GCT)で陽性者に75g OGTTを行う2段階方式の双方が用いられます。
高リスク妊婦(既往GDM、肥満、家族歴、PCOS、高年妊娠、ステロイド使用など)では初期妊娠からの早期検査が推奨され、明らかな糖尿病域高血糖は「明らかな糖尿病」として別に扱います。
自己血糖測定(空腹時と食後)や、適切な栄養・運動指導は診断後ただちに開始します。血糖目標はガイドラインに基づいて個別化し、胎児発育と羊水量、母体の合併症も並行して評価します。
出産後は母体の耐糖能再評価(通常は6〜12週で75g OGTT)が重要です。GDM既往者の将来の2型糖尿病リスクは高く、長期フォローと生活習慣介入が推奨されます。
参考文献
- NICE NG3: Screening and diagnosis
- ADA Standards—Pregnancy: screening and targets
- ACOG: Screening for GDM
治療(生活療法と薬物療法)
治療の第一選択は医師・管理栄養士による医療栄養療法(カロリー・炭水化物の配分、食物繊維の活用、食後高血糖対策)と、妊娠に適した有酸素運動・レジスタンス運動です。
それでも血糖が目標に達しない場合、インスリン療法が推奨されます。インスリンは胎盤を通過せず安全性が確立しており、わが国のガイドラインでも第一選択です。用量・レジメンは自己血糖の推移と食事内容、胎児所見をみて調整します。
一部の国ではメトホルミンやグリブリド(グリベンクラミド)が使用されますが、胎盤通過や長期安全性の観点から地域により推奨が異なります。日本では原則として妊娠中はインスリンが第一選択です。
分娩時期・方法は血糖コントロール、胎児推定体重、合併症で総合判断します。産後は母体の耐糖能再評価と、授乳を含む生活習慣の最適化で将来の糖尿病リスク低減を図ります。
参考文献
- ADA Standards—Pregnancy: glycemic targets and treatment
- NICE NG3: Management of diabetes in pregnancy
- ACOG 2018 GDM management
費用と公的サポート(日本)
日本では妊婦健診は自治体の公費助成(受診券等)により自己負担が軽減されます。GDMの診断・治療(OGTT、自己血糖測定、インスリン等)は医療保険の給付対象で、条件により自己負担割合が適用されます。
妊娠・出産に伴う医療費が高額となった場合は高額療養費制度により自己負担が払い戻される仕組みがあります。詳細は加入する公的医療保険の案内を確認してください。
自治体の妊娠・出産包括支援(母子健康手帳、保健指導、訪問指導)を活用すると、栄養・運動・授乳支援や産後のフォローアップが受けやすくなります。
費用は施設・自治体・保険種別で異なるため、通院先の医療機関窓口と自治体の保健担当に事前確認することが大切です。
参考文献
予防と再発予防
GDMは完全に防げないこともありますが、妊娠前の適正体重の維持、禁煙、十分な睡眠、バランスのとれた食事、定期的な身体活動はリスク低減に役立ちます。既往GDMの方は次回妊娠前からの準備が重要です。
妊娠中の過度な体重増加を避け、食後高血糖を抑える食習慣(ゆっくり噛んで食べる、食物繊維を先に摂る、主食の質と量を調整)を心がけます。医療者と個別の栄養プランを作りましょう。
GDM既往は将来の2型糖尿病と心血管リスク上昇に関連するため、産後6〜12週のOGTTで再評価し、その後も定期的に糖代謝のチェックを継続します。授乳は母体の代謝改善に寄与する可能性があります。
PCOSや家族歴がある場合は、妊娠前からの生活習慣最適化と必要に応じた内科的評価が推奨されます。地域の保健サービスや母子保健事業も積極的に活用しましょう。
参考文献

