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妊娠悪阻(重症のつわり)

目次

定義と概要

妊娠悪阻(hyperemesis gravidarum, HG)は、妊娠中の悪心・嘔吐のうち特に重症で、体重減少、脱水、電解質異常などを伴い、日常生活や栄養状態に著しい支障をきたす状態を指します。一般的な「つわり」は妊娠初期の多くの妊婦に見られますが、HGはその中でも少数に生じ、医療的介入を必要とすることが少なくありません。

診断の目安としては、持続的な嘔吐、食事や水分の摂取困難、体重の5%以上の減少、ケトン尿陽性、電解質異常などが挙げられます。重症度は個人差が大きく、入院が必要となる例もあれば、外来での補液や内服調整で改善する例もあります。

罹患率は報告に幅があり、世界的には妊婦の約0.3~3%が該当するとされます。多胎妊娠や胞状奇胎など、胎盤由来のホルモン産生が増える状態でリスクが高まると報告されています。一般的なつわり(妊娠悪心・嘔吐:NVP)は70~80%にみられますが、HGはその一部に限られます。

HGは本人の努力不足や心理的問題だけで生じるものではなく、遺伝学的素因や胎盤・ホルモン・消化管の要因が複合的に関与する、身体的な医学的疾患です。適切な支持療法と薬物療法により、多くの場合は妊娠中期にかけて症状が軽快しますが、再発例や出産まで持続する例もあります。

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症状と合併症

主症状は持続的・反復的な悪心と嘔吐で、水分すら摂れない、匂いで誘発される、起床時に悪化するなどの特徴がみられます。症状は通常妊娠4~10週頃に始まり、12~16週にピークを迎えますが、個人差は大きく、妊娠後期まで続くこともあります。

合併症として、脱水、電解質異常(低カリウム血症、低ナトリウム血症)、ケトーシス、体重減少、栄養失調が挙げられます。重症例では腎機能障害、肝機能異常、ビタミン欠乏(特にチアミン欠乏)に伴うウェルニッケ脳症など、まれながら重篤な合併症に至ることがあります。

頻繁な嘔吐により咽頭炎、歯のエナメル質障害、食道炎やマロリー・ワイス症候群(嘔吐による食道粘膜裂傷)を来すこともあります。日常生活や就労・学業に著しい支障を生じ、心理的負担や不安、抑うつ症状が悪化することも少なくありません。

胎児への影響としては、多くの場合は適切な管理により良好な経過を辿りますが、母体の体重減少が著しい場合や長期の栄養不良が続く場合、低出生体重や早産のリスクがわずかに高まる可能性が報告されています。

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原因と発生機序

HGの正確な原因は単一ではなく、胎盤から分泌されるホルモンや母体の感受性、消化管機能、神経学的な嘔吐中枢の活性化が複合的に関わると考えられています。長年ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)が一因とされてきましたが、hCG値と症状の強さが一致しないことも多く、決定的ではありません。

近年、胎盤由来のサイトカイン様因子であるGDF15(growth differentiation factor 15)やIGFBP7が、HGの発症や重症度に関与する可能性が注目されています。遺伝学的研究や母体血中濃度の研究で、これら分子と症状との関連が示唆されています。

消化管の運動機能低下、胃排出遅延、嗅覚・味覚の変化、自律神経のバランス異常なども嘔吐閾値を下げ、症状を助長します。ヘリコバクター・ピロリ感染との関連を示す研究もありますが、因果関係は一様ではなく、全例での除菌が推奨されるわけではありません。

内分泌的には、甲状腺機能の一過性亢進やエストロゲン・プロゲステロンの変動、レプチンやグレリンといった食欲関連ホルモンの影響が検討されています。これらは個々の妊婦での感受性の違いと相まって、多様な臨床像を形成します。

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診断と評価

診断は臨床症状と所見に基づきます。頻回の嘔吐、体重減少、脱水の徴候、尿ケトン体陽性、電解質異常といった所見が重要です。重症度評価にはPUQEスコアなどが用いられ、症状の推移と治療反応性を追跡するのに役立ちます。

鑑別診断として、胃腸炎、尿路感染症、甲状腺疾患、膵炎、肝胆道疾患、片頭痛、薬剤性嘔吐などを念頭に置きます。超音波検査で多胎妊娠や胞状奇胎の有無を確認することも重要です。

検査では、血液検査で電解質、腎機能、肝機能、血糖、甲状腺機能(必要に応じて)を確認し、尿検査でケトン体や比重を評価します。長期化例では栄養指標やビタミン欠乏の評価も考慮します。

入院の適応は、重度の脱水や経口摂取不能、電解質異常、体重減少の進行、外来治療抵抗性、合併症の疑いなどに基づき判断されます。早期の評価と支持療法が予後とQOLの改善につながります。

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治療と支援

治療は段階的に行います。まずは食事内容の工夫(少量頻回、脂っこい・辛い・匂いの強い食品を避ける)、匂い刺激の軽減、十分な休息、ショウガ製品やツボ圧(内関)などの補助的手段を検討します。早期からの支持療法は重症化の予防に役立ちます。

薬物療法では、ビタミンB6(ピリドキシン)、抗ヒスタミン薬、ドーパミン拮抗薬(メトクロプラミドなど)、5-HT3拮抗薬(オンダンセトロン)などが用いられます。長期の嘔吐では、静脈補液や電解質補正、チアミン投与でウェルニッケ脳症を予防します。難治例ではステロイドや経腸栄養・中心静脈栄養が検討されることもあります。

心理社会的支援も重要です。休職・就労調整、家事・育児支援、パートナーや家族への情報提供、地域資源の活用により、患者の負担を軽減できます。再発リスクが高い既往歴のある人では、次回妊娠での早期介入計画が有用です。

治療の安全性は妊娠週数や併存症により異なるため、個別化が必要です。国内の薬事承認状況は国により異なり、日本では海外で用いられる配合薬が未承認のこともあるため、受診先で最新の情報に基づく説明を受けることが重要です。

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