妊娠性高血圧腎症
目次
用語の概要
妊娠性高血圧腎症は、現在は一般に「妊娠高血圧症候群」や「子癇前症(プレエクラムプシア)」として扱われる概念で、妊娠中あるいは分娩直後に新たに高血圧が生じ、しばしば蛋白尿や臓器障害を伴う病態を指します。母体だけでなく胎盤や胎児にも影響し、早産や胎児発育不全の原因となる重要な合併症です。
世界的には全妊娠の数%でみられ、母体死亡・罹患の主要因の一つです。診断は血圧上昇に加えて、蛋白尿や腎・肝・脳・血液系のいずれかの障害を伴うかどうかで重症度が評価されます。早期発見と適切な管理により転帰は大きく改善します。
名称に「腎症」と含まれるのは、古くから蛋白尿を重要視してきた歴史的背景によりますが、現在は蛋白尿がなくても他臓器障害があれば子癇前症と診断され得るため、より広い臨床像を念頭におきます。
根本的な治療は分娩(胎盤の娩出)ですが、妊娠週数や母児の状態に応じて、降圧、痙攣予防、胎児の成熟促進、厳密なモニタリングなどを組み合わせながら、最適な分娩時期を見極めることが重要です。
参考文献
- ACOG Practice Bulletin No.222: Gestational Hypertension and Preeclampsia
- WHO: Hypertensive disorders of pregnancy
- MSDマニュアル家庭版:子癇前症と子癇
発生機序の考え方
発生機序は完全には解明されていませんが、胎盤形成の初期異常が主要な起点と考えられています。子宮内膜への栄養膜細胞の侵入が不十分で、胎盤の血流が相対的に不足し、虚血・酸化ストレスが生じます。
虚血胎盤からは可溶性Flt-1(sFlt-1)や可溶性エンドグリンなどの抗血管新生因子が過剰に放出され、母体の血管内皮機能が障害されます。これが全身の血管収縮や透過性亢進を招き、高血圧、蛋白尿、浮腫、臓器障害といった臨床像に結びつきます。
母体の免疫適応の破綻も示唆され、父系抗原への寛容が十分に成立しない場合に炎症性サイトカインのバランスが崩れ、内皮障害が増幅されるという仮説があります。
これらの要因は相互に絡み合い、遺伝的素因と環境要因(肥満、既往高血圧、糖尿病、多胎妊娠など)が加わることで発症リスクと重症化が規定される、多因子疾患と位置づけられます。
参考文献
症状と診断のポイント
典型的には妊娠20週以降に新規の高血圧が出現し、頭痛、視覚異常、上腹部痛、急激な浮腫、体重増加、尿量低下、呼吸困難などがみられることがあります。症状が乏しいこともあり、定期健診での血圧・尿検査が重要です。
検査では蛋白尿の有無に加え、血小板減少、肝機能障害、腎機能障害、肺水腫、中枢神経症状など「重症所見」の評価が重視されます。胎児側では発育不全や羊水量の異常が検出されることがあります。
超音波の子宮動脈ドプラ検査や、胎盤成長因子(PlGF)などのバイオマーカーは補助的に用いられ、早期からの層別化や除外に役立つ可能性が示されています。
鑑別としては慢性高血圧、腎疾患、HELLP症候群、胎盤早期剝離などが挙げられ、臨床経過と検査で慎重に判断します。緊急性の高い症例では入院管理が推奨されます。
参考文献
遺伝的・環境的リスク要因
家族内集積がみられ、母体・胎児双方の遺伝子が関与すると考えられています。胎児側FLT1遺伝子のバリアントはリスク増加と関連すると報告されていますが、単一遺伝子で説明できるものではなく、多遺伝子・多因子の関与が一般的です。
母体側では高血圧、腎疾患、自己免疫疾患(抗リン脂質抗体症候群、SLEなど)、糖尿病、肥満、高齢・10代、初産、多胎、体外受精(特に卵子提供)などが一貫したリスク要因として支持されています。
人種・民族や社会経済的要因もリスク差に寄与し、医療アクセスや栄養、合併症の頻度、環境ストレスが複合的に影響します。喫煙は一部でリスク低下と関連する報告がありますが、有害性が上回るため推奨されません。
再発リスクは前回の重症度や発症時期、基礎疾患の有無で変わります。低用量アスピリン予防は高リスク群で再発抑制に有用とされ、12〜16週から開始し、分娩前に中止するプロトコルが多くのガイドラインで推奨されています。
参考文献
- McGinnis et al., Nat Genet 2017: Variants in the fetal genome near FLT1 and preeclampsia risk
- ACOG Practice Bulletin No.222
- USPSTF: Low-Dose Aspirin Use for Prevention of Preeclampsia
管理と治療の実際
根治は胎盤娩出であるため、管理の中心は母児の安全を最大化する分娩時期の判断です。重症所見があれば妊娠週数にかかわらず分娩が検討されますが、早産になる場合は母体にステロイドを投与して胎児肺成熟を促進することがあります。
降圧薬としてはラベタロール、ニフェジピン、ヒドララジンなどがよく用いられます。痙攣予防・治療には硫酸マグネシウムが第一選択で、子癇の発生と再発を有意に減少させます。体液管理、尿量の監視、血液検査の反復評価も重要です。
外来で経過観察可能な軽症例でも、家庭血圧測定や症状の自己モニタリング、定期的な胎児評価が不可欠です。状況が変化すれば入院へ切り替えます。
分娩後も血圧や臓器障害はしばらく遷延し得るため、少なくとも数週間のフォローアップが推奨されます。長期的には心血管リスクが上昇するため、生活習慣の是正と一次医療につなぐことが大切です。
参考文献

