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卵巣漿液性癌

目次

概要

卵巣漿液性癌は、卵巣に発生する上皮性卵巣がんの中で最も頻度が高い組織型で、特に高異型度漿液性癌(HGSC)が大半を占めます。HGSCは進行してから見つかることが多く、腹膜播種や腹水を伴って診断されることが少なくありません。診断時の多くがステージIII〜IVであり、予後に影響します。一方、低異型度漿液性癌(LGSC)は比較的まれで、進行が緩やかである一方で化学療法感受性が低いなど、HGSCとは生物学的性質が異なります。

近年、HGSCの多くが卵管采部の上皮を起源とすることが示唆され、卵巣自体よりも卵管上皮の病変(STIC:漿液性卵管上皮内癌)から発展するという概念が広く受け入れられつつあります。この知見は予防やリスク低減手術の考え方に変化をもたらしました。

治療の基本は、病期に応じた手術(原発巣切除と骨盤・腹部の腫瘍減量)とプラチナ系薬剤を軸とした化学療法(通常はカルボプラチン+パクリタキセル)です。進行・再発例では、抗VEGF抗体(ベバシズマブ)やPARP阻害薬(オラパリブ、ニラパリブ、ルカパリブ)などの維持療法が予後改善に寄与することが示されています。

疫学的には、卵巣がん全体の年齢調整罹患率は地域差があり、日本では増加傾向にあります。漿液性癌は上皮性卵巣がんの中をなすため、卵巣がんの死亡の大部分に関与します。リスクは生殖歴、経口避妊薬使用、家族歴・遺伝子変異(とくにBRCA1/2)などと関連します。

参考文献

発生機序

HGSCの分子病理学的特徴として、TP53遺伝子変異がほぼ普遍的に認められ、相同組換え修復(HR)の破綻を背景とする高度なゲノム不安定性が挙げられます。BRCA1/2の生殖細胞系列または体細胞変異、RAD51C/DなどのHR関連遺伝子異常がしばしば関与します。これらはPARP阻害薬に対する感受性の根拠となります。

起源組織に関しては、切除卵管の詳細な病理検査でSTIC病変が同定される頻度が高いこと、分子プロファイルが一次腫瘍と一致することなどから、卵管采部の繊毛上皮がHGSCの主要な発生母地であると考えられています。これは「卵巣がん」という名称が必ずしも発生学的実態を反映していないことを示します。

LGSCはHGSCとは異なる経路をたどり、しばしば漿液性境界悪性腫瘍を前駆病変としてMAPK経路の活性化(KRAS、BRAF、NRAS変異)を伴いながら進展します。したがって、分子標的治療の選択にも違いが生じ、MEK阻害薬などが治療選択肢となり得ます。

また、腫瘍微小環境や腹腔内の免疫学的要因、間質との相互作用が播種と薬剤抵抗性の形成に関与すると考えられています。これらの理解は、新規治療(抗体薬物複合体、免疫療法併用戦略など)の開発につながっています。

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遺伝的要因

家族性・遺伝性素因は漿液性卵巣癌、とりわけHGSCの重要なリスク因子です。生殖細胞系列のBRCA1/2病的バリアントを有する女性では生涯卵巣がんリスクが大きく上昇し、BRCA1で約39〜46%、BRCA2で約12〜20%と推定されています(年代・推定法により幅あり)。

BRCA1/2以外にも、RAD51C、RAD51D、BRIP1、PALB2などの相同組換え修復関連遺伝子がリスク上昇に関与します。リンチ症候群(MLH1、MSH2、MSH6、PMS2)でも卵巣がんリスクは上昇しますが、組織型は漿液性以外(類内膜・明細胞)が比較的多いとされます。

HGSCでは腫瘍側の体細胞変異としてもBRCA1/2変異やHRDが高頻度にみられ、HRD陽性は全HGSCの約半数に及ぶと報告されます。これらはPARP阻害薬の効果予測に応用され、治療選択に直結します。

遺伝カウンセリングと遺伝学的検査は、患者本人の治療最適化だけでなく、血縁者のリスク評価と予防戦略(リスク低減卵管卵巣摘出術など)に資するため、診療ガイドラインでも推奨されています。

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環境・生活因子と予防

生殖・ホルモン関連因子は卵巣がんリスクに影響します。経口避妊薬(OC)の使用は使用期間に応じてリスクを低下させ、一般に5年以上の使用で30〜50%程度の低減効果が報告されています。妊娠・出産、授乳、卵管結紮や機会的卵管切除もリスク低下と関連します。

閉経後のホルモン補充療法(特に子宮摘出後のエストロゲン単独)は卵巣がんリスクをわずかに上げる可能性が指摘されています。肥満はリスク上昇と関連し、喫煙は主として粘液性卵巣がんに関係するとされます。タルクの会陰部使用に関しては研究間で結果が一貫せず、現時点で因果関係は確立していません。

一般集団に対する有効なスクリーニング検査は確立していません。経腟超音波やCA125測定は、死亡率低下効果が示されず偽陽性による過剰医療の懸念があります。高リスク者(BRCA病的バリアント保有など)では、専門医と相談のうえサーベイランスやリスク低減手術を検討します。

予防の観点では、妊娠を望まない期間のOC活用、婦人科手術時の機会的卵管切除の検討、遺伝的高リスク者へのリスク低減卵管卵巣摘出術(適切な年齢・時期での実施)が重要です。

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診断・治療

診断は骨盤内診察、画像検査(超音波、造影CT/MRI)、腫瘍マーカー(CA125等)、必要に応じた腹腔鏡・開腹による組織診で確定します。病期はFIGO分類に基づき、組織型・グレードや分子プロファイル(BRCA/HRD等)も治療計画に影響します。

初回治療は、可及的な完全腫瘍減量をめざす腫瘍減量手術と、カルボプラチン+パクリタキセルを基本とする全身化学療法が標準です。手術先行が困難な場合は導入化学療法後にinterval debulking surgeryを行います。

進行・再発例に対しては、抗VEGF抗体(ベバシズマブ)の併用と維持、PARP阻害薬の維持(BRCA変異やHRD陽性で特に有効)、プラチナ感受性に応じたレジメン選択が行われます。LGSCではホルモン療法やMEK阻害薬(トラメチニブ)が選択肢となります。免疫チェックポイント阻害薬の単剤効果は限定的ですが、併用戦略が検討中です。

支持療法として、悪心・骨髄抑制・末梢神経障害の管理、栄養・運動・メンタルケア、遺伝カウンセリング、妊孕性温存(適応例)などが重要です。日本では標準治療は保険適用で提供され、分子診断に基づく薬剤選択が普及しています。

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