パクチーの味の感じ方
目次
概要
パクチーは葉や茎に特有の香りをもつハーブで、一部の人には爽やかで柑橘様、別の人には「石けん」「カメムシ」を想起させる不快なにおいとして知覚されます。これは主に嗅覚の違いに由来し、味蕾の甘味・苦味といった基本味よりも、鼻で感じる香り(揮発性化合物)の受容の個人差が大きく関与します。
不快と感じる人の中には、葉を噛んだ瞬間に石けん様の香りが鼻に強く抜ける体験を報告する人が多く、料理全体の風味を支配してしまうと訴えます。一方で好む人は、同じ化合物を「青い」「レモンの皮」のように爽快と評価します。
この二極化は病気ではなく、生理的な感受性と学習・文化的経験の相互作用です。特定の嗅覚受容体をコードする遺伝子の多型が、香り成分に対する感度を上げ下げし、さらに食経験や調理法が知覚の質を調整します。
研究では、パクチーの主要香気である不飽和アルデヒド群(E-2-デセナール、E-2-ドデセナールなど)が、石けん様の印象に強く関与することが示されています。これらに高感受性の人は不快を感じやすい傾向があります。
参考文献
- Why Cilantro Tastes Like Soap to Some People (Scientific American)
- A Genetic Variant Near Olfactory Receptor Genes Influences Cilantro Preference (PLoS ONE)
発生機序:嗅覚とアルデヒド受容
パクチーの葉を損傷すると、脂質から生じたC10〜C12の不飽和アルデヒドが揮発し、鼻腔内の嗅上皮に到達します。これらは特定の嗅覚受容体に結合し、神経活動のパターンとして脳へ伝達され、石けん様、脂臭、柑橘様などの表象を生みます。
嗅覚受容体OR6A2はアルデヒドに高い親和性を示すことで知られ、近傍の遺伝子領域の多型により受容体の発現や機能がわずかに変わると、知覚強度や快・不快の評価が変化すると考えられています。
一方、加熱や刻み方、酸や脂質との組み合わせはアルデヒドの揮発・分解・マスキングに影響し、同じ人でも調理条件によって知覚は変わります。例えば、長時間の加熱やすり潰しは石けん様の野趣を弱めると報告されています。
このように、分子(アルデヒド)—受容体(OR群)—神経回路—経験という多層のプロセスが重なり、個人差の大きい主観的な「味(実際には香り)」が形成されます。
参考文献
- Harold McGee, The Cilantro Soap Wars (NYTimes)
- Why Cilantro Tastes Like Soap to Some People (Scientific American)
遺伝的要因:OR6A2と関連多型
ゲノムワイド関連研究(GWAS)では、OR6A2を含む嗅覚受容体遺伝子クラスター近傍のSNP(代表例:rs72921001)が、パクチーを「石けんのように感じる」自己申告と統計的に関連することが示されました。
このSNPの効果量は小さく、単独では知覚の個人差のごく一部しか説明しません。つまり「遺伝で全てが決まる」わけではなく、多因子の一要素です。ただし人種集団でのアレル頻度差が、人口レベルの嗜好差に寄与しうる点は重要です。
嗅覚関連遺伝子は多コピーで多型が豊富なため、検出力の限界もあります。今後、希少変異や遺伝子発現の違いを含む総合的な遺伝学的解析が進むほど、説明力は増す可能性があります。
結論として、遺伝は「感じやすさの土台」を作りますが、効果は控えめで、環境との相互作用が大きいと解釈されます。
参考文献
環境的要因:文化・学習・調理
幼少期からの接触頻度、家庭や地域の料理文化、同席者の評価(社会的学習)は嗜好の形成に強く影響します。繰り返しの曝露によって受容が進む「単純接触効果」は食品でも示されます。
文化的にパクチーを多用する地域では、料理の設計(酸・塩・脂・辛味のバランス)や投入のタイミングで香りを生かしつつ、過度の青臭さを抑える知恵が蓄積しています。これは不快知覚の軽減にも働きます。
個人レベルでは、刻むよりすり潰す、加熱を加える、レモンや酢などの酸、乳製品や油脂と合わせる、といった工夫でアルデヒドの尖りを和らげられます。
したがって、同じ遺伝的素因を持つ人でも、食経験と調理で「嫌い→許容→好き」へ変化しうる可塑性があります。
参考文献
- Early influences on the development of food preferences (Review)
- Harold McGee, The Cilantro Soap Wars (NYTimes)
人口差・頻度と年齢・性別
自己申告データでは、パクチーを石けん様と感じる人の割合は集団により異なり、おおむね一桁〜一割台で、特定の系統(例:アシュケナージ系ユダヤ人)では二割前後という報告もあります。
ただし調査方法(「嫌い」と「石けん味」の定義、料理の形態、言語表現など)で数値は変動し、厳密な国別・地域別の比較は注意が必要です。日本国内の厳密な疫学研究は限られています。
性差は一貫して大きくはありませんが、嗅覚は加齢で低下しやすく、年齢とともに香りに対する過敏さが緩和される可能性が示唆されています。
まとめると、人口差は遺伝背景と文化曝露の双方の影響で説明され、個人の生涯にわたり可塑的に変化します。
参考文献

